小ぶりの年代物の説教卓

よく見るととても丁寧な細工がしてあります。この少し下にある斜めの小さな板は何をする棚なのでしょう。使いみちがわからない。ちなみにここ数十年使われていないはず?
新しい教会堂で、復活するか いかに。

どうあるべき?

手作り

教会に来ると、自分がどうあるべきかクリスチャンの心得はなどと考えてしまいます。
まあ、性急に求めないで、ただただ礼拝に参加してみるほうが良いでしょう。

すべての人は何かしらの欠けや特性があって、自分ではどうにもならないこともあり、
また、それぞれに言葉ではあらわせない役割があって、人の体に例えられることがあります。

人の体の細胞のすべての役割が、まだまだ未解明なように、
ただ、存在するだけでそれぞれに大事な役割があるのでしょう。とても人に、こうあるべきなどと言えません。この手作りオブジェを見ながら思いました。

あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリントの信徒への手紙1 12章27節

なんと読みますか?

A? 右にΩがあるので、アルファでしょう。アルファとオメガ。

神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。
「わたしはアルファであり、オメガである。」
ヨハネの黙示録1章8節

略解という参考書の背表紙に、新約聖書はΑΩ 旧約聖書はℵת と書いてありました。
ギリシャ語とヘブライ語でのアルファベットのはじめとおわり、A-Z

初めであり、終わりである。

ヘブライ語のℵת は、 ℵ アレフ  ת タブ  だそうです。

わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。
イザヤ書44章6節

わたしというのは全能者であり、人の発した言葉というよりも黙示や預言の中で語られていますね。

壁に献金箱

祈祷会や集会の時、感謝の献金など、主日礼拝ではない時のために壁に古い献金箱がありますね。

日曜日であれば、礼拝献金へ。しかし、古くなりましたね。さて、建て変わる時にどちらへ?

ちなみに、礼拝献金は、白くて小さな紙の包みを受付で受け取って、こちらが礼拝の後半に回ってきます。

奏楽者がいないときには・・・

奏楽者がいないときに、礼拝で讃美歌を歌う時や集会で讃美を捧げる時にヒムプレーヤーが活躍します。せっかく足踏みオルガンがあるのに残念な部分はありますが、リードしてくれる音があることは心強いこと。

ただし、電池が弱かったり、音響につながらなかったり、操作方法で混乱したり、違う曲がかかったり等は、おこりえることです。

何があっても、機械や音響で慌てないで、自声で讃美と祈りを捧げられればなによりですね。

先生の工夫で音が無線で音響につながっています。

聖餐式

他の教会はどうやって聖餐式をされているのでしょう。
感染防止のためのいくつかのアイデアを取り入れています。

聖餐は受洗された方のみです。

中津教会の傍らにある石碑

Nさんが書いてくださっています。7/5撮影
石碑

1894年、キャラハン宣教師夫妻が、生まれて間もない長女マーガレットを連れて、キリスト教会のない中津に入った時、開拓伝道は困難を極め、報われることもなく2年の歳月が過ぎました。1896年秋に長男ハーベーが与えられましたが、風邪をこじらせ、急性肺炎のため生後わずか二か月で天に召されました。しかし、この愛児の死という悲しい出来事が人々の心をキャラハン夫妻に固くつなぐ結果となり、その時以来、二人の奉仕と働きが中津の人々の生活のなかに根を下ろし、大きな役割を果たすことになります。 
〜(キャラハン邸物語 保坂康夫著: 発刊に寄せて ケン・ヤマダ  より一部のみ引用)  

廣安先生による 中津教会の歴史シリーズ もどうぞ